フィリピン人は禅の達人

フィリピンは禅のメッカかもしれない。
 
なぜなら人々は禅の教えを地で行ってる。


モトボサツと座禅の関係は2000年にさかのぼる。

日本に住んで居た時、自動車レースに没頭していた。

名古屋に住んでいたので、鈴鹿サーキットまで近い。

車好きがこうじてA級ライセンスをとり、レースに出るようになった。

集中力が無い日はタイムにムラが出る。またはスピン等とにかく嫌な感じで終わってしまう。

ある日床屋で雑誌を読んでいると座禅の記事が掲載されていた。

良いことばかり書いてあった。

もしかして集中力がつき、レースの結果が良くなるかもしれない・・・・

早速ネットで検索。

たまたま近所に座禅会を催している曹洞宗のお寺があったので、そこへ通ってみることになった。

お化けが出るような古いお寺を想像していたが、相当綺麗なお寺だった。

はじめて座った時の感想。

身動きせず50分じっとしていなければならない。気が変になりそうだった。

私は誰?ここは何処?耳鳴りまでしてくる。

ちょうど真夏だった。

虫の声だけが耳に入ってくる。

毎週、虫の声だけが変わっていった。


とうとう虫の声が聞こえなくなった。

虫の声の移り変わりが分かっただけでも感動的だった。

座禅は大きく分けて曹洞宗と臨済宗に別れる。

北斗の拳でいうと

曹洞宗は北斗神拳で、臨済宗は南斗聖拳にあたる。

私は北斗側にたまたま縁があって入門してしまったので曹洞宗でのやり方だ。

曹洞宗は壁に向って座る。座るのみ

臨済宗は壁を背に座る。そして禅問答がある。一休さんはコレ。

どちらから入っても目指すところは一緒。

大道無門。

座禅をすると集中力が身につくらしい。

これはなぜだろうか?

人間生きてれば、自動的にいろいろと頭に浮かんでンくる。

仕事の事、遊びの事、食べ物、ゴルフのスイング、請求書の支払等々・・・

当然、一つ浮かぶとそれを具体的に展開してしまう。

浮かんだことをどうやって解決しようか等そこで解決策も練ってしまう。

それを、「はい今から1時間何も考えないで無になりましょう!」

生きてる限り無理だ。

私は座禅に疑問と興味を持ち、本を読んだり色んな寺を回って座禅をした結果、一番しっくりくる教えが見つかった。

「追うな 追うな」

これは何かというと考えや思いが浮かんだら、出来るだけ具体化せずに、放置し、行ってしまうのを待つ。

思い浮かんでも、展開せず、そこで放置。

辛い世の中で如何に楽になるか。

未来も過去も気にせず、今の瞬間に集中する。


最近ふと気が付いた。

それってフィリピン人じゃねーか。

周りを見渡すと畏れ多くも禅の達人だらけだ。
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ダウンタウンには禅の達人が多い。自分が達人だと気付いていなのがカッコいい。

とにかく今だけに集中する。

未来や過去に固執しない。

思いが浮かんでも放っておく。

私が、10年以上かけてもまだ完全に会得できない世界を彼らは最初から身に着けている。

さらに、道路で托鉢の業をしてる達人もいる。

あれも立派な業だ。


禅の修行はフィリピンで!