セブの気温28度 湿度64%
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私が人里離れ隠れ住んで居たところはダムの麓だった。
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rambo
イメージ画像

BUHISAN DAM  

地図上ではギリギリセブ市内だがタクシーのドライバーは行きたがらない。

なぜなら客を降ろした後にヤラレルからだ。

SRPという日本のODAで作られた質の高い湾岸沿いのハイウェイを通りセブの南へ向かう時、

右側に山が見えてくる。

その中腹にダムがある。

普通のフィリピン人はほとんど知らない場所だ。

っていうかフィリピン人は物を知らなすぎる。

そして単純でワンパターンだ。

たとえば

フィリピン料理に連れて行ってくれと頼んだらジョリビーに連れて行かれる。

受け狙いではなく割と真剣だ。

そして雄弁に語る。

これが一番有名なレストランだよ!
Kani ang pinaka famous na restaurant!
ピーナカ フェーモス ナ レストラン カニ!

そしてビサヤ語ちょっと一言でも話すと

ビサヤ語わかるの?
Kamao Ka mag bisaya?
カマオ カ マグ ビサヤ


ちょっとだけ
Gamay Ra
マガイ ラ

セブはもう長いの?
「Dugay naka sa cebu?」
ドガイ ナカ サ セブ?

ほぼこの会話の流れになる。

前はボヒサンっていう山に住んどったとさね
Sa Buhisan ko nagpuyo sa una , sa bundok ba
サ ボヒサン コ ナグポヨ サ ウナ、 サ ブンドック  バ

しらない
Wako kabaho
ワコ カバホ

そこで会話が止まる。

それはどの辺に位置するとか、なぜそこにそんな山に居たのか?とかいう質問は一回も受けたことが無い。

基本他人に興味を持たない。

これは国民性だろう。


ところでこのブヒサンダム。

100年前に出来たダムで当時日本から沢山の労働者がダムで働いていたらしい。


着工1/13/1911 - 竣工2/13/2012
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え~僅か1年でダムが完成?
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昔のフィリピン人は勤勉だったのか?

ゼッケン入りのシャツを着ると怠惰になるのだろうか・・・
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セブ市内の真ん中にフェンテオスメニアというサークルの公園がある。
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FUENTEはスペイン語で泉と言う意味。

英語だとFOUNTAIN。


当時の市長トーマスオスメニアさんは30代でこの水道事業をこなし、その記念としてフェンテオスメニアを建立。
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竣工式。白い服が多い。

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フェンテの周り 野原だ。
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昔の州庁舎 土地を買っておけば今頃ウハウハだろう。
※日本人的発想。


FUENTE OSMENA

オスメニアの泉という意味だ。

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1912年竣工
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総工費550万ペソ

公園の中の塔をよく見ると水道工事にかかわった技術者の名前や周辺情報が刻んである。

普通見ないと思うが暇だったらこれを眺めながら歴史に思いをさせてもよいかもしれない。
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おかげで火消の放水作業も楽々!

100年前はフィリピンは豊かな国だったようだ。

日本人が出稼ぎ労働者としてダムの工事に出かけていた。

今でもその当時のプライドが教育の中に入り込み努力をしない民族になっているのかもしれない。

「昔は日本や韓国はフィリピンよりずっと貧しかったのに突然裕福になった」

フィリピン人の口から良く出るセリフだ。

歴史の教育は国民性を作る。

フィリピン人は貴族だと思わせる思想を教育によって植え付ける。

良いか悪いかは別にしてそれを普段の言動によって強く感じる。

豊かだった昔話に固執する。

落ちぶれてしまった貴族だが、プライドだけ現役だ。

そしてそのプライドだけが空回りしている気がしてならない。

 

 

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