私はフィリピンと縁が出来るまでフィリピンという国にまったく興味がなかった。

そもそも私が小中高と過ごした昭和後期では、学校の授業であまりフィリピンについて触れていなかったように思う。

私の中では記憶に薄い国だった。

Pパブ全盛期にその世界へ嵌ってしまった人以外、純粋にフィリピンへ興味を持つ機会を得る事は難しい。

フィリピン全土共通してタガログ語を日常的に話すと思っていたと以前本ブログで打ち明けた事があったが、

それを機に実は自分もそうだったと告白してくれた人が結構いたのが嬉しい。

舐め合う傷は美味いとでも言おうか(笑

なぜなら日本に居るフィリピーナ軍団はタガログ語で会話をし、タガログ語の歌を盛んに歌っている。

よってフィリピン=タガログ語というイメージが出来上がるのは私の落ち度では無い・・・

ところで、元カノ〇に習ったタガログ語はかなり間違えていた。

通じるけどかなり変なタガログ語・・・

マニラに行った時に”本物”から指摘されて初めて気が付いた。

例えば、タクシーの中で運転手に左折するように指示す場合。

「Liko sa kariwa」

「ギャハハ、それってまるで軍隊だよ」

「左向けぇ~左!」みたいなノリらしい。

「そのタガログ語誰に習ったの?」

「色黒なセブ出身の彼女ですが何か?」

「あ~だからね・・・」

セブの人にとってはタガログ語は外国語の一種なのだ。

別に騙されたわけじゃないが、その事実を知った時にかなり凹んだ事を今でも思い出す。

それから自分の日本で覚えたタガログ語が全部変だという前提でマニラ人の会話に耳を澄ませ真似るようにした。

その時に言語習得は単純に習うもんじゃないと感じた。

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今、うちのエンジェルが言葉を少しずつ話始めている。

生まれた瞬間から彼女をずっと観察していると人間の言語習得のステップが見えてくる。

ステップ1 発声は泣き声だけ。

恐らく泣くという作業はある意味発生練習のようだ。

ステップ2 パ音を発生。

最初に発音するのはママには悪いが”パパ”なのだ!

しかしパパの意味は全く分かっていない・・・

ステップ3 エンジェルという音を真似して発音

もちろんエンジェルが自分の名前であるとは分かって居ないが、生理現象的に記憶に残っている音を発してみるようになる。 

ステップ4 自分の名前がエンジェルであることが分かる

私は日本でポッキョという名の黒猫と生活していたが、キャツは「ポ」と言っただけでスっ飛んできた。

自分の名前や音の意味が分かるのは基本的に動物として備わっている能力なのだろう。

犬はお手や待てが出来る。

ステップ5 名前以外にもしょっちゅう耳にしている音の意味が経験的にわかるようになる。

恐らく他の家の赤ちゃんも同じ道を辿るのだと思う。

しかし大人が外国語の習得をする時でもこのステップ3~5の過程とその繰り返しが非常に重要な気がする。

なぜなら自分がタガログ語、ビサヤ語を覚えた時にやはり同じ道を辿ったからだ。

セブで最初に覚えたビサヤ語は「ラカオラカオ」

習ったわけではない。

というか誰も論理的にビサヤ語を教えてくれないジャングル生活。

話す能力と教える能力は全く別物だ。

今考えると習えない環境が非常に良かった。

最初は近所の散策がある意味私の仕事だった。

家を出るたびに近所の人が「ラカオ ラカオ?」と私に声をかける。

そのうちラカオラカオという音が記憶に残り、さらに経験的にその意味が分かって来た。

エンジェルのステップ3~5と同じだ。

自身の人体実験からも言語は学ぶ物ではなく慣れる物だと言えよう。

”最初は音に馴染み、後から経験的に意味を知る”

一般の語学教育はステップ3~5の逆をしている気がする。

特に今英語を学び始めた、または学ぼうとしている人の参考になれば幸いである。

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